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  • 2014.11.04 Tuesday
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ときめきに死す part.3

森田芳光まつり、第3弾!そして、ようやく完結!!長かった―!!!!
け、結果的にまだ何本か見てないけど、い、イイヨネ?漏れ、がんがったよね?




「ライブイン・茅ヶ崎」  (1978年)
主な出演者:青木真己 石井保 三沢信子


勤め人をしながら自主製作映画を撮っていた森田芳光が、初めて世間の注目を浴びた作品。
茅ヶ崎に住む若者の自堕落な日常を、ドラマ的な起伏もなくだらだらと描写していく作品。

追悼特集上映で見たのだが、原初から森田芳光はもはや森田芳光としか言い様のない才能を持っていた事にビックリだ。
本作で見られる、ドラマもなくほのぼのダラダラとした若者の生き様は、確実に後続の「の・ようなもの」や「間宮兄弟」ひいては「僕達急行 A列車でいこう」に引き継がれており、森田という作家を考える上で、超重要な作品である。
冒頭の主人公のナレーションからして、もう既に森田芳光節が全開なので、椅子から転げ落ちそうになった。

しかし、そういったカタい事は抜きにして、本作は特に肩肘張らずに見れるよい湯加減の映画である。画面から目が離せない!という訳でもなく、かといって退屈のあまり寝るって事もない。
加えて、カメラワークや役者の演技はお世辞にも上手いとは言えず、録音環境がよくなかったのか、音は割れまくりでセリフも聴き取りにくいレベル。しかしっそんなのものともしない心地よさが漂っている。この何とも言えない丁度よさってなんなのさ!?(まあ、それでも長さは感じてしまったが)
それこそが、森田の才能であるし、新しさでもある。退屈っぽくても結局は画面に釘付けになってしまうこの現象はなんだ!?映画観賞の幅を広げてくれる自由な作品(笑)
特に、自主映画特有の素人くささを完全に逆手に取った演出は今見ても新鮮。

あ、ちなみに同じ特集上映で他に2本ほど自主映画時代の作品を見たが、特に記すほど何かあった訳じゃないので、割愛します!

「(本)噂のストリッパー」 (1982年) 
「ピンクカット 太く愛して長く愛して」 (1982年)

主な出演者:宮脇康之 岡本かおり 三崎奈美
      伊藤克信 寺島まゆみ 井上麻衣 
      




森田芳光の味は、ピンク映画でも変わらない。いや、むしろピンク映画だからこそ、味わいが増している部分もあって、非常に面白く見れた。

「噂のストリッパー」はストリップ小屋を舞台にした作品だが、こういった施設特有の場末感がなく、青春のペーソス溢れる好編に仕上がっている。特に何かが優れている訳ではなかったが、独特の心地よくて軽やかな雰囲気が漂っていて、森田作品の醍醐味を味あわせてくれる。
その中で印象に残ったのが、劇中で描かれるまな板ショー。不勉強ながら知らなかったのだが、こんなサービスが存在していた事にショックを受けた!!これ、本番行為じゃないすか!!

「ピンクカット」は「の・ようなもの」で主演を務めた伊藤克信が、再び主役を。性的サービスを施してくれる理髪店を中心に展開される青春グラフィティー。
本作は何と言ってもヒロインの寺島まゆみの激烈な可愛さに尽きる!!ピンク映画らしからぬ可憐さを身に纏っていて、もう夢中!!キャッチコピーは、『ピンク映画界の聖子ちゃん』!!!!
劇中で伊藤克信とイチャついてるとこなんて、伊藤に本気で嫉妬するぐらいに可愛かった!!
現在の私がこんな感想を抱くぐらいだから、当時は熱狂的な人気だったのだろうなあ〜。絵に描いた様な清純そうな娘がアハンウフンとやってしまうのだから、堪らなかったのだろう。
(ちなみに、寺島まゆみチャンのファンサイト)
http://mayumi-terashima.net/index.html

両作とも、歌謡曲やアイドルソングをふんだんに使って、ピンク映画に爽やかな雰囲気を呼び込んでいる。
あまりピンク映画に詳しい訳ではないのだけど、これは相当新しい味付けだったのではないだろうか?

全然期待していなかった分、結構楽しめたのであった。




「そろばんずく」 (1986年)
主な出演者:とんねるず 安田成美 小林薫 渡辺徹



批評家筋からは絶賛された「それから」の後に撮った怪作。
当時隆盛を極めていた広告業界を、当時飛ぶ鳥を落とす勢いだったとんねるず主演で!!完全に商業的に「殺りにいってる」作品である。ゲップが出そうだ。
しかし肝心の結果は、興行的にも評論家筋でも惨敗。とんねるずのキャリア的にはどうなのだろう?黒歴史扱いなのか?

本作は、とんねるずを起用するだけあって、所々トリッキーな演出やギャグ描写が散見される。問題はその描写がだいたいスベッている所だ。あの手この手と、変わり種の演出と仕掛けを用意しているが、どれもまともに成功しているとは言い難い。
特に、スーパーマリオライクな土管からパックンフラワーが出てくるギャグの件なんか、寒気を通り越して異次元に放り込まれた思いがした。

今まで新感覚の気鋭として慣らし、硬軟どちらの作品も過不足なく撮り上げ、ほとんど死角のなかった森田芳光が、初めて土をつけた作品と言える。
万能監督として名高くメディア戦略の上手い森田だが、やはり最初はメディアと絡むのが下手だったようだ。

だが、この作品にはそういった表面的な失敗もなんのそのな、良く分からないパワーが宿っている事も確かだ。
特にキャスティングについては完璧といってイイ出来栄えで、ミスキャストどころか、個々の俳優の思ってもみない旨みを醸す事に成功している。
中でも、やり手でイヤミな広告マンを怪演している小林薫がすごかった。ロン毛なんだぜ?小林薫が。
つまり、全体的には失敗してるけど、個々のハジケっぷりが中々楽しい作品なんだよ、この「そろばんずく」は。

恐らく、これは森田が最も精神的にイケイケの時期に撮られた作品だ。
「家族ゲーム」の大ヒットや、「それから」での批評家筋からの圧倒的支持。
そういった成功を経験した直後の、怖いものなし状態での作品には駄作が多いというのは世の常だが、その中にあってここまでハジケた作品を作っちゃう森田はやっぱり目が離せない監督だったのだなーと思う。

これより、92年頃まで、ちょうどバブル期に寄り添うように、森田は破天荒な駄作ばかりを撮り続ける事になるんだが、それはまた別のお話。






「悲しい色やねん」 (1988年)
主な出演者:仲村トオル 高嶋政宏 藤谷美和子 石田ゆり子 高嶋忠夫



数ある森田芳光作品の中でも、トップクラスの駄作!
森田が任侠ものやヤクザものを撮ったらこうなっちゃいました!!

登場人物全員がとてもヤクザもんに見えないのもどうしようもないが、権謀術数渦巻く複雑なプロットを、完全に乗りこなせてない演出のまずさが露呈しまくっているのが、イタイ。
登場人物がやたら多いのに、個々のキャラに印象的なエピソードや役割がある訳ではないので、観ててストーリーが非常に分かりづらかった。主役二人のキャラも結構かぶってしまっている・・・!

特に腹が立ったのは、せっかくの高嶋親子の共演を、台無しにするキャスティング!!ヤクザファミリー抗争ものなのに、なんで高嶋親子を親子役にしなかった!?何故、仲村トオルの親父役で起用したのだ!?配役があべこべになってしまっていて、観客に混乱を巻き起こすこと必至。

なんつうか、擁護のしようのないダメ作品なんだが、石田ゆり子のエセ関西弁(ちなみに本作がデビュー作らしい笑)が不自然過ぎて笑えるのと、クライマックスで飛び散る鮮血が、赤以外の変わり色を使っておるのが印象に残った。





「愛と平成の色男」 (1989年)
主な出演者:石田純一 鈴木保奈美 武田久美子 財前直見 鈴木京香



これほどまでに、バブルを描き切った作品があったろうか?
描かれる描写もバブリーならば、キャストもオールバブリー!!石田純一がただただチャラく描かれる90分!!素晴らしい。

昼は歯科医師、夜はジャズバーでサックスを吹く石田純一が、女の子にモテまくる!!ただそんだけの内容!!
もー、これを聞いただけでは憤懣やるかたない、ギョーカイ自己満足クソ映画にしか見えないだろうが、ところがギッチョン。本作は、娯楽映画としてそこそこの成果を上げている様に思う。

キーワードはやはり石田純一だ。
本作では何と!森田の書く軽薄でキザなセリフが!ご都合主義を通り越してただの中年の妄想と化している空っぽのストーリーが!石田純一と出会う事によってとんでもない化学反応を起こしているのだ!!
つまり、これは・・・ファンタジーだ!!!!

よく考えてもらいたい。サラリーマン漫画の金字塔として現在も読み継がれている島耕作シリーズが、その実、ただの艶もの出世ストーリーでしかない事を!!
特命係長シリーズが、だらしない暴力描写と脱力もののエロ描写で出来ている事を!!
これはある意味、そういったイイ湯加減のファンタジーとして味わう作品なのではないだろうか?

映画は芸術作品でもあるし、娯楽作品でもある。そしてどちらにも当てはまらない懐の深い作品もある。だから、こんな作品があってもいいじゃないか!え、ダメですか?




「黒い家」   (1999年)
主な出演者:内野聖陽 大竹しのぶ 西村雅彦 町田康 石橋蓮司




「39 刑法第三十九条」とほぼ同時期に公開された作品。
本作は、あたかもサイコホラーとして売り出されてしまったが、それが間違いの元だった。
原作は確かに保険金詐欺を扱った傑作サイコホラーだ。当時サイコホラーが隆盛を極めていた事も起因していると思う。
でも、違うだろう!!これはどう見ても、サイコホラーを逆手に取ったブラックコメディーだろう!!

物語は保険の営業である内野聖陽が、顧客である大竹しのぶ・西村雅彦夫妻に保険金殺人がらみで執拗に付きまとわれるってのが大筋の流れ。
そこから、西村ひいては大竹しのぶの異常行動がエスカレートし、ついには内野にその凶行が及んでしまう。

物語前半は、原作に準拠してか、保険業界の描写や西村・大竹しのぶ夫妻の背景説明が主で、若干進みがノロイ印象。
しかしその中でも、まずは、西村雅彦がカツラをかぶって異常なキョドり様で登場する辺りから、オモシロフレーヴァーが本作に振りかけられる。
これ、画像が用意出来なかったのは申し訳ないんだけど、相当バカバカしくて面白い。既にこの時点で、この作品が何を志向しているのかを観客に高らかに宣言している。

そして、西村が舞台から退場して、後半。今まで抑え気味だったと大竹しのぶがとうとう牙を剥く。
何も嬉しくない大竹しのぶの水着シーンや執拗なボウリング描写で、バッチリ大竹しのぶを観客に印象付けて(イメージカラーは真っ黄色)、大竹しのぶが本格的に内野に襲いかかるのだ。

タイトルにもなった、内野が彼女を人質にとられて突入していく「黒い家」のシーンがやはり白眉。
内野のね、ビビり方がハンパなく面白いのだ。((((;゜Д゜)))ガクガクブルブルをこれ以上ないくらいに体現してて、もう楽しすぎる。ドアノブさえまともに握れないくらいに震えるとか、やりすぎ!!

さらには、その後に訪れるクライマックス。これはもう自分の目で観賞してほしいので、詳しい事は何も書けないが、大爆笑必至のトンデモシーンのオンパレード!!
ここで見られるのは大竹しのぶの女優魂というよりも、素っ頓狂な素行を繰り返す普段の大竹しのぶにそのままターボをかけただけの姿だ。スッと何の違和感もなく、この飛躍を楽しめたので、このキャスティングは大正解だったと言える。
良くもまあ、こんなバカバカしいシーン書けるなあ〜と感心してしまった。
こんなバカな映画に向かって、やれ「整合性がどうの」とか「原作のテイストぶち壊し!!」とか、良く言ってられるな!
「39 刑法第三十九条」と同時期にこんなの撮ってるんだから、森田芳光のこの時期の脂の乗り方はハンパじゃねーな!これの前は「失楽園」だし。
まあ次回作の「模倣犯」で、このトンデモ映画路線は大爆発するんだけどね。

これは暗い部屋で一人で見るよりも、みんなで見て盛り上がれる、極上のパーティームービーだと思うのだが、いかがかな?
僕はとりあえず、友達に見せたくなった。もはやパンク!!





「海猫」 (2004年)
主な出演者:伊藤美咲 仲村トオル 佐藤浩一 八千草薫



不倫もので、有名人のSEXシーンが話題になった映画と言うと、同じ森田作品の「失楽園」が思い出される。
しかし、物語の手順も無視して中身も全くないアッパラパーな「失楽園」に比べて、本作は丁寧にストーリーの下地を作っていて、僕の様に恋愛ものや不倫ものに関心がない層(なんじゃそら)にも届き易い仕様になっている。

物語は、閉鎖的な北海道の漁村を舞台に、漁師の佐藤浩一の家に嫁いだ伊藤美咲が、DQN丸出しの佐藤一家に嫌気が差して、伊藤美咲に横恋慕していた佐藤の弟の仲村トオルと不倫に走る内容。
なんつーか全体的に出来はいいけど、まあこれと言って特徴のない映画とも言える。

本作最大の失敗どころは、伊藤美咲のセックスシーンの華のなさだろう。「失楽園」の黒木瞳が乳首を丸出しにして、疑似尺八までキメテるのに、伊藤美咲は必死に乳房の大事な部分を隠すのに終始するばかりでエロさも華やかさもなかった。唯一ちょっとエロい!と思ったのは出産シーンだし笑
「体当たりの演技」という言葉を巷ではよく使うけど、体当たりの中に中身が伴ってなければ、まるで意味がないって事が、この映画を見ると良く分かる。
黒木瞳の俗の極みとも言える体当たりっぷりは、潔いエロさがまだあったが、本作の伊藤美咲のエロには何もない。佐藤浩一の方がまだ色っぽいぐらいだ。

しかし、本作はエロシーン以外は結構良く出来ているから本当に残念。佐藤浩一のDVっぷりに拍車がかかる後半部分は見どころがあるし、伊藤美咲の疲弊っぷりも良い塩梅で、結構魅せてくれる。
SEXシーン以外特に見どころがない「失楽園」とは見事に対照的である。

どうしてどっちも出来るのに、両方充実した作品が撮れないんだ!!
本作を見ると、相対的に「失楽園」の評価がちょっとだけ上がるから、なんだか複雑な気分だ笑。




「わたし出すわ」  (2009年)
主な出演者:小雪 小池栄子 黒谷友香 ピエール瀧 仲村トオル



森田芳光のオリジナル脚本による作品。
ふと、故郷函館に帰ってきた小雪。彼女はどこからか手に入れてきた大金を、かつての高校の同級生にポンと差しだす。それを基に、夢を叶える者、仕事に生かす者、家庭や人生が崩壊してしまう者、大金とは距離を置く者、渡された者によってその末路は様々だ。
そして、物語は次第に小雪自身に隠された秘密が明らかになる。
これは、そういった現代におけるお金にまつわる寓話である。

着眼点は良かったんだけどなあ〜・・・
小雪の時点で僕はあまりのめり込んで見れなかった側面があるのは否定できないが・・・本作は正に、ヒロインである小雪の存在が実に中途半端でイライラさせられた。
決定的にファンタジーな存在でもないし、かといって小雪に何か物語のフックとなるべき重要な秘密が隠されている訳でもない。
小雪が大金を渡すことによって、登場人物の人生には様々な変化が訪れる訳だが、それもあえて淡白に描かれているので、じゃあ、これは何に力点を置けばいいの?な、作品だった。

この素材をもっと簡潔に、そしてもっとファンタジックに書けば、とてつもなく面白い作品になったんじゃないか?森田芳光って、こういうタイプの失敗作多いよなー、と思うた。




「僕達急行 A列車で行こう」 (2012年)
主な出演者:松山ケンイチ 瑛太 貫地谷しほり ピエール瀧 笹野高史



森田芳光の遺作。
とうとう森田は、内容の充実度においても対外的な評価においても、「家族ゲーム」を超える作品を世に出せなかった。
しかし、この作品が森田芳光のラストだと思うと感慨深い。
何故なら、「ライブイン・茅ヶ崎」や「の・ようなもの」のスピリットを継ぐ森田の原点のとも言える作品だからだ。

同じ鉄道好きとしてひょんな所で友達になった松ケンと瑛太が、自分たちの趣味を生かしてお互いを励まし合いコネを作り、仕事で成功を収めていく。というのが基本的なストーリーラインだが、これは実は重要なものではない。
やはり重要なのは、本作で醸される軽やかな雰囲気。これに尽きる。
この雰囲気を楽しめるか楽しめないかで、大きく評価の分かれる映画になるだろう。

本作での松ケンや瑛太は、若者らしい暑苦しい野望や挫折を持っている訳でもなく、又は無気力で怠惰な訳でもなく、社会に反抗していく訳でもない。
逆に現実では有り得ないぐらいにイイ子に描かれている。基本的に朴訥でいながら、仕事に対しては真摯で、趣味の分野では男の子みたいにキラキラした目で二人して旅行に行ったりする。
これに対して「リアリティがないぞ!!」と怒るのは、正しい批判かもしれないが、間違っている。

本作は積極的にファンタジー足ろうとしている。出てくる登場人物全員が可愛くて、愛着の持てる人物造形をしている。
松坂慶子も、ピエール瀧も、伊武雅刀も、冷静に考えるとヤな大人なんだけど、森田特集のふんわりした演出にくるまれて、どいつもこいつもキュートに仕上がっている。

何もかも愛おしい空気の中で、恋愛だけが少し窮屈なものとして置かれるのも、また、森田ファンタジーを補強する事になっている。
恋愛に付随する苛烈な想いは、森田作品の軽やかな雰囲気を損なう恐れがある。「の・ようなもの」でも、「間宮兄弟」でも、主人公の恋愛の成就だけが執拗に忌避されていたのには、こういった訳があるのではないか。

この心地よい映画が終わってほしくない!!僕は観賞中ずっとそう願い続けた。映画館でたっぷりとドリーミングな空気を味わった120分だった。
森田芳光の原点回帰にして集大成だ。こんな作品を遺作に持ってくるなんて、森田芳光はニクい作家だ。




・森田芳光は常に時代と並走し、その先を見つめてきた作家だった。
時代に警鐘を鳴らす作品を作るのは、ある意味簡単だ。リアルな舞台設定とリアルな演技もまた、ある意味簡単だ。何故なら、それは現実に対する不満や危機感、そして現実で自分たちが感じている感覚を、そのまま作品に落とし込めばいいだけだからだ。
確かに、そういった作品の方が上映される意義もあるし、観客の共感も呼びやすい。しかし、あまりにも似たような作品が多すぎるのではないだろうか?

森田は日本映画に蔓延するそういった形式主義にこそ、反抗してきた作家だったと思う。
ある時は、のんびりと。ある時は、切れ味鋭く。はたまたある時は、実が結ばず失敗作となる事もあった。
絶えず実験精神・チャレンジスピリットと、娯楽・商業映画としてのクオリティーの両面を、一つの映画の中で両立させていた監督は、邦画界では稀有な才能だったのではないだろうか?

デビュー作「の・ようなもの」で、自分の撮りたいものは全て出し切ってしまったと語っていた森田芳光。
それからの森田は自分の描くべきテーマを探し求めて作品を撮っていったに違いない。
その中で、森田が見つけたテーマは、やはり「の・ようなもの」や「ライブイン・茅ヶ崎」に見られる様なほのぼのとした青春グラフィティだったのだろう。
「僕達急行」でそれが見えた矢先に、突然の訃報。やりきれない思いだ。

齢60を超えても尚、伸びしろがありそうで、これからも期待できる映画作家を失った事はあまりにも大きな損失なのだ。



・「僕達急行」の終盤、主役の二人が線路上の鉄橋で黄昏れるシーンがある。
このシーンは、森田のデビュー作「の・ようなもの」でのラスト、若手落語家二人が宴会の中で黄昏れるシーンと、どうしても重なってしまう。


『俺たち、真打ちになれるのかなあ〜(このままでいいのかな)?』

と、頼り無げに未来に不安を漏らしていた若者は、30年の時を経た「僕達急行」では、

『僕らにしか分からない世界があるはずさ』

と、少しだけ強さを携えた言葉を放つ。それが森田監督の死と重なって目頭が熱くなってしまった。30年の月日を経て、森田作品の登場人物たちは少しだけ強くなっていったのだ。
もうこれだけで、森田芳光まつりを孤独に実施していた苦労が報われた気がしたのだった。

もう森田芳光の新作は見れないが、森田のスピリットを受け継ぐ次なる作り手が現れる事を祈って、これからも粛々と映画を僕は見続ける。
辛かったけど、いい映画体験でござりました。



- 完 -


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